ドイツでだいぶうつになってます

東京産まれ東京育ち。小学生の息子ふたり。思ってることを書き留める。

東京からドイツの田舎に来て10年以上たったけどつらいわ

無の境地になってきたドイツ暮らし。

基本的には辛い。


海外暮らしの不便さや寂しさはどうしようもないのでどうしようもない。

言葉も学んでいるし仕事もしている。

出来る努力はやっているのだと淡々と。

 

総じて、海外でも日本でもどこの地域でも悩みやストレスはいつもある。

そもそも、苦しみの根源は内面にあるものだから

場所を変えても苦しみから逃げることは出来ないと思っている。

 

その上で、つらさの正体はなんだろうと掘り下げてみた。

結論は、

「ストレスや退屈を紛らわすキラキラアイテムの少なさ」。

 

「キラキラアイテム」って、日本ではどこでも平均的にあったもの。

「便利さ」「美味しいもの」「低予算でも美味しい」「おしゃれなモノ・ヒト」

「美味しいものや心地よさは買える」「お店は基本的に親切」

見つけたり、取り入れたり、出会ったりして、

気分転換になって、元気が出るサプリのようなものと定義してみた。

 

しかし、

ドイツって(ベルリンなどの大都市は別として)、

このサプリ「キラキラ」が足りない。

 

まず、美味しいものが足りない。

これは在住日本人ブロガーさん達が書いていらっしゃるので割愛。

基本的に同じモノやコト+自国製品が好きな国民なので、

パン屋・ケーキ屋さんの品揃えが硬直している。変わらない。

隣国の商品は日本の方がたくさんある。えっ

 

おしゃれなモノ・ヒトが見当たらない。

おしゃれに重きを置いていない国なので、

夏はTシャツにジーンズ、冬はフリースジャケットやダウンコート。

 

一方、日本人はおしゃれになるために大変な努力を重ねていることがわかる。

まずもって洋服自体が西洋人が考案発展させてきたものだから、

頑張らないとそもそも形にならないし。

 

今住んでいるところは人口54万人の地方都市で、

生活に必要なものはコンパクトに買い周りが可能。

治安もよくひろびろとしているので子育てにはとてもいい環境だと思う。

ただ、

自分の場合、東京が標準になっているので、

「街の楽しさ」というところを掘り下げると、

どこにいっても刺激が足りない運命。それは仕方ない。

 

しかし、

楽しい時間を得ようと思って街に出かけて(期待)、

商店の店員さんからお釣りをぺっと投げられたり、

レジでイレギュラーな事を頼んだら、

レジ係に不機嫌にペンをばーんっと叩きつけられたり、

仏頂面で飲み物をがーんっと机に置かれたり、

単純に居心地が悪くなる(期待が満たされない)。

これ、発生頻度が日本に比べると格段に高い。

 

「お客様は神様」は日本だけ、

そもそもサービス業の概念が違う事は頭ではわかっている。

 

しかし、

これはお店での対応に限った話ではなくて、

家族や友人や職場等の人間関係でも、基本的に、

自分優先・自己中心的でOK。

というか一周まわってこれが良し。

 

相手の期待を察して動いたり思い遣ったりするの、

人間っていいな素敵だなってなるよね。

学校・職場など人が集まる組織内では、

自分の評価が上がったり相互関係で働きやすくなる事も当然ある。

新たな価値を生むと思う。

しかし、価値感って環境で変わるのだ。

 

ヨーロッパのドイツの南あたりでしか暮らしたことはないけど

ここでは評価されないしもっと言うと価値があまり無い。

それが本当の意味で腑におちるまで私は10年かかった。

 

そして怖いのが、(腑におちてはいても)心は反射反応する所なので、結構疲弊する。

 

そして、「キラキラ」が手に入らないので疲弊した心がケアされないまま冬が来る。

わたしはこれの蓄積でうつになった。

 

「キラキラ」に依存しているのに、

「キラキラ」がない環境でこの先も生きなければならない。

受け身で享受してきた「キラキラ」への執着をたちきって、

別のなにかを探すしかない、

いままでやったことが無いコトでかつ能動的な事をやろう。

ブログやってみようと思いました。

 

「ポジティブに自己中」

「日本人が心を守りながらドイツで暮らす」

「喧嘩上等ドイツ人を論破する方法」

「ヨーロッパに住むアジア人」

「40代のリアルファッション@ドイツ田舎」

 

こんなかんじでいってみようと思います。