ドイツでだいぶうつになってます

東京産まれ東京育ち。小学生の息子ふたり。思ってることを書き留める。

220年に一度の大転換期

12月22日を境に風の時代に突入するらしいですよ。

220年周期の転換期。このタイミングに生きているってすごくないですか!

 

200年前になにがあった?って考えると産業革命で、

イギリスの一部の人々が覇権を獲っていた時代。

 

日本はそのころ江戸時代。

ユダヤ人いじめとは無縁の国だった。

 

日本固有のいじめ(部落差別・・)はもちろんあった。

だけど、

この世界の標準を作ってきたのは西欧社会であるので、

わたしたち日本人もユダヤ人とキリスト教が端を発するところの

歴史上の大きなうねりの中にいる。

お金に支配されている以上、

常にそこにフォーカスして物事を見る必要があるだろう。

 

映画マトリックスの中で、機械と人間の違いというテーマがあった。

AIがどうしても理解出来ないことは人間の感情だという話。

 

特定の人をいじめる陰湿さ、これこそが人のカルマだな。

良い感情よりも悪い感情の方が圧倒的にエネルギーが強い。

邪悪なものが邪悪なものを引き寄せる。

利己的幸福しか考えない者たちが大きな勢力となって、

お金の力と権力と強く結びつき世界を支配してきた。

そして今、まさに瀬戸際。

 

 

人間だけが持っている感情は、

本来は善悪を判断出来るものだ。

 

どこかの勢力や宗教に与しなくても善は出来る。

自身の心に神が住んでいるのだから、

宗教団体もましてやメディアという名の洗脳装置も要らない。

 

善良な人々がお金の為ではなく崇高な精神性で集う場所に、

強いエネルギーが集まる時代が来るんだな。

 

息子たちはなんて時代に生きるんだろう。

本当に楽しみだ。

母はもうアラフォーだけどね、

出遅れないようにもっともっとアンテナはって生きていこう。

みんな、テレビを捨てようよ

アメリカ大統領選挙は向こう1ヶ月位はごたごただ。

ドイツのメディアでもバイデン勝利と報じた。

週末のトランプサポーターによる100万人集会をスルー、

ホワイトハウスの国家非常事態宣言をスルー、

自分とこのフランクフルトのサーバーが押収されたことすらもスルー。

法のもとによる決定ではなくメディアが権力保持者を決定する、

それを国として公的に認定したことと同義。

日本と同様だということがわかった。

 

わたしは幼少期テレビっ子だったけど、

いつからか興味がなくなり見なくなった。

ダウン○ウンが嫌いなわけではないけど、

彼らが出てきたあたりから心地よくなくなった。

 

「東京の奴らを引きずり下ろしてやりたい」的な、

売れてからは、「どうだ!こっちが天下獲ったぞ!」的な。

どこかの勢力が最高の戦力としてのダ○○○○ンを押し上げて、

天下を獲ってやったというような、

なんともいえない威勢の強さがどうしようもなく画面からにじみ出て、

うっすらと心地が悪かった。

 

もちろんだけど、

二人が本当にすごく面白かったから大衆から圧倒的に支持されたのだし、

それは疑う余地ない。

ただ個人的にあまり好きでなかったのは、

理不尽ネタというのか知らないけど暴力的ないじめ然のネタ?は

ADHDHSP持ちの私にはまったく笑えなかった。

 

またこれも特性なのかもしれないけど、

学校のお友達がテレビの話題で盛り上がってる時間が理解できなかったんだよね。

昨日のお笑い番組を再現することのなにが楽しいのかわからないのです。

高校生位からはまわりに合わせる事が本当に出来なくなり

発達障害的ぼっち人生を突き進んでいる。正直寂しい。

ADHDは人が嫌いなわけではないので。

 

社会に笑いを提供してくれる芸人さんの芸は、ネタ・漫才で見るのが一番いい。

アホでバカみたいなバラエティ番組での扱われ方は、

真剣に芸に向き合ってる芸人や芸能人にとっては、

もはや価値を下げる仕事である時代がもうはじまってるんだけど

制作する側には当然関係ない。

良質な芸能や情報を視聴者に提供するなんてこと、全然考えてないから。

消えたとか干されたという言葉で表現される芸能人の一部は、

 テレビを見限った聡明な人々なのだと思う。

 

今、世界で何が起きているのかを世に知らしめるのが使命であるはずの、

民主主義を礎にしてるはずの報道はテレビでは絶滅しているようですね。

ここドイツも例外ではなく、

元ネタをそのまんま自国語に翻訳してテレビ・ラジオで流しているだけで、

失望させられる。

ホロコーストの反省を見せ続けることは、

あちらさんの不都合は報道しない契約をしたということかね・・。

 

善を行うために信仰があるのではないのか。。

善の心を利用した魔性に食いつぶされるままでいいわけない。

百年戦争するんだよ。

自分たちにとって邪魔なものを排除する活動をしながら、正義の皮をかぶっている。

公然と全国に全世界に配信しているこの異常さ。

 

こんなものを日々見せられて、黙っていてはいけないよ。

真逆のところに真実があるって、なんのための報道番組なんですか。

日和見主義の業界の崩壊とアメリカ国民の勝利を心から祈る。

日本人のDNA

1年位まえから中田敦彦さんの動画にはまり、

そこから国際政治系情報を発信する著名な方々の動画を見るようになった。

学生時代は政治に興味がないおバカ学生だった。

選挙には欠かさず行ってたけど

親に言われた候補者にいつも入れていただけ。

今はドイツに居るので、在外選挙利用で時間的に可能なときしか投票していない。

郵送でやりとりしたり在外公館に出向いたりと手間が異常にかかるからだ・・

 

最近、中田さんは次のステージに移行しようとしている。

テレビのしがらみはなかなか断ち切れないものだろうな。

思考力に溢れた人なのでどんな場所でも

強く面白くオリジナルで勝っていく人だと思う。

「学ぶことの純粋な楽しさ」に気づかせてくれた人なので、

本当に感謝している。

 

三浦春馬さんの死がきっかけで

テレビ業界の乗っ取り=日本そのものを乗っ取ろうとする

勢力があることを最近理解した人は多いと思う。

日本が嫌いなだけではなくて国を盗ろうとしていたなんて。

ドイツで育児ばかり一生懸命やってた私の頭にも深く突き刺さった。

 

中田さんがきっかけとなり、

コロナによるロックダウンがあった3月から、

本や歴史系マンガを読みまくりKindleも始めてさらに視野が広がった。

 

江戸時代の東京はぶっちぎりで世界一の大都市だったことがわかる。

前提に日本人の善の心があり、

戦いが無かった時代に文化がぐんぐん成長して、

丁寧に仕事をする職人が評価されて、

識字率は高く庶民でも一定の教育を受けていた。

江戸の街は上下水道が整理されて排泄物を循環させるシステムもあり、

とても衛生的だった。

城の外にも庶民のグルメがあり、

日本人の美食家としてのDNAは1800年代で確率されていたようで興味深い。

 

世界の他の大都市ではどんなものを食べていたのかと調べてみたら

美食を楽しんでいたのは特定の階級だけで

庶民は不衛生な環境で貧困にあえいでいた。

戦いが連続して起きると文化が発展する余裕がないからね・・

 

日本人の定義ってなんだろう?

天皇はシャーマンの末裔だから居てくださらないと困る。

お天道様が見てるから良いことをする、しようと子供に教える。

泥棒はしない、ご先祖様を敬う、死者を侮辱しない、

ごみを道端に捨てない、お米は一粒残さず食べる。

この辺が無意識下にひとかけらも無い人は、

姿は似ていても日本の心を持っていないと言えるのではないかな。

 

国盗りは世界中で行われている。

目先の生活に精一杯だったり自分の生活圏でなにも起きていないと

危険が近づいていることに気づけない。

三浦春馬さんが置いていったものは

なんて大きなものだったんだろう・・

勝利か・・?!60日間に渡るDHLとの闘い

9月中旬から続いていたDHLとの闘いがついに終わったか・・?!

この喜びと記憶が鮮やかなうちに記録を残しておく!

 

以下、時系列に。

 

9月16日 

日本からの小包がドイツ国内到着後ストップ。

動かないまま1週間経過していると発送人から連絡を受ける。

DHL陣営に複数回電話するもつながらないのでメール。

EORI番号をはじめとする公的機関発行の証明書等を提出。

3日後DHL陣営から返信。

こちら陣営のEORI番号が無効と言われる。ムキー。

保存しているあらゆる証拠をDHLに送り付け、電話。

 

色々あったけど思い出すと疲れるので省略。 

 

9月22日 小包やっと配送完了

9月30日 DHLから商品にかかる税金と保管料9日間分の請求書が届く。

 

はっ?!なにを言っている?

 

むかついたので税金は払うけど保管料を払う義務が無い旨クレーム送付。

電話も複数回。毎回違う人間が出てきて色々話すけどいつも同じテンプレ。

顧客側に起因する遅延にかかるコスト云々・・

とにかく支払ってねという通知がメールで何度も来る。ムキー

 

実はこれ、2017年に同様のトラブルがあり、

その時にこちらの公的書類の有効性は2017年時点で既に証明してある。

同様のトラブルを避けるために、

DHL社内システムにデータ保存を依頼してあり、

担当者から処理完了の証拠メールも貰っていた。

勿論これらの証拠は今回の事案発生最初からDHLに送っている。

つまり全く同じ事態が再び起きている。

保管料は4日目から発生する。

その前の3日間で最低必要な範囲の作業は出来るだろう。

どちらにしても9日間分は絶対払いたくないと固く決意。

 

この間、

督促状や支払い遅延のペナルティが含まれた請求書がどんどん届く。

こちらからさらに詳細を記したクレーム文書を3回送り付ける。電話も。

 

色々あったけど省略。

 

11月3日

ついにあちらさんが内部での情報管理不備に関して非を認める。

書面に「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」の一文あり。

絶対に謝らないドイツ人が謝罪。

これまでの膨大ながっかり体験から

トラップあるのでは?と

蛇のように何回も読み訳す。どうやらまじで勝ったか・・?

しかし「修正した請求書を送ります」と書いてあるので

これを確認するまではまだ油断できない。

保管料が削除されて、商品にかかる税金だけを払う形になっていれば終結宣言!

アメリカ大統領選挙が気になって仕事できない

身近に熱く語れる友人もいないのでここに書く。

ひとり黙々と、8月くらいから各種ニュースやSNSを徘徊している。

 

少し前に、「私はトランプさんに勝ってほしい」と言ったら夫発狂(笑)

ドイツ国内のメディアでは、

トランプ大統領は分断大好きの人種差別者として扱われている。。

国境の壁やBLMは大きく報じられてるし、

悪意ある編集が普段からされているように感じる。

そしてこれもまた本国アメリカや日本と全く同じで

バイデン親子のやばい話は一切報じられない。

もしこれがトランプの話だったら鬼の首とったかのうように一日中やっているはず!

 

そして、トランプ大統領4年間の実績は全くと言っていいほど報道されない。

ノーベルなんたら賞をもらったオバマは中国が南シナ海に軍事基地を作り始めた時、

なんの発言もしなかったけどね。。。

 

わたしの祖父は大戦中パラオの小さな島にいたらしい。

当時について話してくれたことはない。

朝晩、正座してお経を唱えていたけどどの宗派だったんだろう。

 

わたしの両親は法華経信者だった。

姉もわたしも読書好きで自発的に図書館に行く子供だったので

自宅にあるものは読んでいた。

美輪明宏さんのお話は普通に頭に入ってくる。

自分のアイデンティティは、仏法としての法華経と、

森羅万象のすみずみに神が宿るという精神性も勿論持っている。

 

日本人の多くは無宗教だと自称するけれど、

海外から見たらあなたの宗教はこれ(神道)なんだね、

とみなされるものだ。

 

スピリチュアル系や占星術の文献などを読んでいると

その意味するところは突き詰めれば森羅万象=宇宙だと感じる。

私の心には17とかQは刺さらないけど、

宇宙そのものが神だと理解してそっち系の記事は読む。

宇宙はひとつの生命だから

人類が他者の幸福をも祈ることが出来る「善」の方角を選べば、

宇宙が味方してくれて(キリスト教ワードだと神のご加護かな)

ゆっくりでもそっちにいくはずだと信じてる!

 

イスラム教とキリスト教ユダヤ教

もともとは同じ神なのだけど。

それぞれの方向付けをしてきたのは、時代時代で組織運営した人間だろう。

価値観は集合体の都合で決まるだけのこと。

 

今日行われてる選挙はアメリカだけど、

日本人も日本での投票には常に行くべきだと思う。

ドイツの小学校

 

 

ドイツの学校は、朝早く始まって終わるのも早い。

1時間目がある日は7時45分から。そして12時15分に終わる。

学童や昼食を申し込んでいる家庭の子供は

校内併設の学童に行って放課後を過ごすようになっている。

学校の授業は無料。

当然、学童は共働き家庭が多く申し込んでいる。

放課後のクラブ活動などは無いので

各家庭でスポーツクラブなどに入会する。

 

日本の小学校及び教職とはまったく違うものだと思っておいたほうが良い。

ドイツの教師の仕事は知識を授けることなので

休み時間の生徒たちの監督や道徳的な振る舞いを教える等の業務は

契約には入っていない。

そもそも、

子供が好きだからとか、立派な人物でありたいとか

そういった信念を抱いて教師になる人ってドイツには居ないと思う。

ドイツ語や算数を子供に教える仕事だからね。

 

学校が道徳を学ぶ場所ではないことは

理解していたけど、

青少年が知識を得る場所だととらえてもお粗末と言わざるをえない。

このコロナパンデミックのさなかでも

オンライン授業などはほぼ無かったし、

オンラインで日々の課題が出されていたけど提出させるわけでもなく、

もちろん一切のチェックもなく、

4ヶ月間で何かを提出したのは片手で数えられる回数。

ただ家庭に丸投げしているようにしか見えなかった。

その上、

夏季休暇取得は当然の権利だから

当然完全に休んでいたようで、運営体制にはかなり失望している。

9月から学校が始まっているものの

おそらくコロナ前と変わらぬ体制でこれまで通りの授業をするだけだ。

 

また、

いじめなどの問題が起こるとわかるのだけど

担任の教師は生徒たちの人間関係についてよく知らないことが多い。

休憩時間に生徒たちと一緒に過ごさないから当然だと思う。

人としてどうあるべきか、という点については家庭で得る体験が

ベースになるのは当然だしそれでいいと思う。

だけど

家庭だけでは、親と子、兄弟の関係がメインなので上下関係が前提にあり

横のつながりでどうあるべきか?が不足する。

このような環境で育っていく。

 

長男が4年生の時、弱いものいじめが発生した時があった。

学校側の対応としては

先生や校長が出てきて説教するのではなく、

スクールソーシャルワーカーが該当クラスにやってきて、

対面で当事者たちがど直球で話しあった。

何回か話し合いやワークショップがあり、徐々に状況は落ち着いていった。

ソーシャルワーカーは子どもたちの性格やグループなどの知識は無しで来るし、

親の参加は求められない。

子供と教師と専門家とで解決策を探すというわけだ。

9歳でも自分の主張が出来なければならないし

出来ないと尊重してもらえないという環境。

思いやる心よりも、まずは負けない心。

あくまでも自分。

自分の心の強さ、

自分を肯定する力、

自分を大事に出来るか、

自分ファースト。

 

少し、ドイツ社会がわかった気がした。

 

さて

ドイツのコロナ事情も再び緊張が高まってきた。

企業は引き続き在宅勤務を推奨している。

わたしも先週から家で仕事しているのですが

子が秋休みなのでまったくはかどらない(汗

多分、HSPなのでね。。

子供の発する気・音が全て気になってしまって集中出来ないから辛い。

前から感じていたんだけど、HSPって要は発達障害の一つだよね。

HSPというとネガティブテイストが薄れて

あたしは繊細で優しい人だから・・ってなんだかわからんけど

日本的な気の利く善良な人・・みたいな素敵テイストになる。

言葉での定義づけってすごい力があるな。

 

今年の冬は既にクリスマスマーケット中止が決まったし・・

冬の数少ない娯楽を奪われて本気で退屈しそうだなあ。。

家の中で楽しめるアイデアを色々探してみよう。

うつだ・・

注意:めちゃめちゃ暗い文章です。

 

 

 

 

 

 

 

連日、暗い寒い。

この空の色がずっしり来る。

どうしようもなく気分が上がらない。

うつだ・・

頭がぼーっとするし

楽しいことを考えようとするけどなにも浮かんでこない。

このままではまずい。

気分転換や気晴らしが必要なのはわかってるんだけど

外に出るのが怖い。

 

コロナパンデミーが発動して以来、

嫌な気分にさせられることが増えた。

気にしないで暮らしていくしか無いし

どうしようもないのだけど

件の場所に近づくと、嫌な気持ちが蘇ってくる。

 

この場所で、すれちがいざまに、

コロナターイム って言われたな・・

わざと大音量でげっぷされたな(中国人と思われた?)・・

まだマスク義務化されてないときに

口を覆われたな・・

気にしすぎって夫には言われる。

気にするな・・きりがない・・

 

しかし、そもそも夫にわかるわけがないし、

自分の立場も気持ちも他人にわかってもらおうとすること

それ自体が無理なのだ・・

 

それは仕方がない。

 

家族と一緒にいても孤独を感じる。

 

そんなら日本人と結婚すればよかったじゃないか。

自己責任。

 

また自分をいじめる。

だって、仕方ない。

前向きになれないんだもの。

 

ご飯を作ったり掃除をしたりするのが辛い。

なんで、これをやらなきゃいけないんだろう。

休みたいけど、休んでいたら、夫にぐちぐち言われた。

 

なんのための、伴侶なんだろう。

子どもたちが大きくなったら、

ここを出て、気候や人の性質がおだやかな場所に住みたい。

気合をいれなくても、外出出来て、突然失礼な発言をされたりしない、

そんな心配をしないで普通に歩ける街に住みたいよ・・

 

そのためには資金が必要だし、

こんなメンタルで達成できるはずもない。

だから今を頑張るしか無いのに

どうしようもなく元気が出ない・・

 

こんな暗い母親で、子供達に申し訳ないと思う。

ご飯だけは、温かい美味しいものを作ってやらなければ。

 

 

 

人をばかにしていい気分になる人がきらいすぎる

ネガティブな愚痴を含みます。

読みたくない方はここでUターンしてください。

 

 

 

 

 

 

いつも絶妙に人をディスる人がいる。

強い立場の人には従順で、弱い立場の人を影でバカにしたりする。

しかも

出自や国籍など本人の努力とまったく関わらない要素でだ。

 バカにしている時にうっすら楽しそうにするのが不快だ。

こうゆう言動をする人って本当に痛々しい。

50代以上がこれやるとほんとにキツイ。

 

年長者だからとか上司だからと周りが気を遣ってあげているのに

同調してくれていると脳内変換するので

自分の振る舞いを省みることがない。

結果、どんどん嫌いになる。

気を遣ってあげてきたことは残酷だったのかも。

 

自分への戒めも込めて。

40歳をすぎると、

生き様が佇まいや顔つきに如実にあらわれるからコワイ。

心の中が目や話し方に隠しようもなく出てくる。

 

友禅の職人だった父を思い出す。

わたしが育った新宿にはいろいろな人が住んでいたが、

両親がご近所の噂をしていた記憶が無い。

他人についての差別的な見方や発言がない家庭だったのだと

最近気づいた。

 

母からは、

「他人の身体的特徴については絶対に言ってはいけない

と教えられてきた。

 

両親は一般的な出世とか地位に興味が薄かったのか、

独自の価値観の持ち主だったのかもしれない。

子の私にとっては

お酒や借金などで苦しい思い出もあったけれど、

父母の清廉さは忘れたくないものの一つだ。

 

大衆に出来ることはなんだろう

三浦春馬さんの死から考えたこと。

ネット上では撮影現場の状況について、

いじめがあったと噂されているけれど、

大体本当なんだろう。

問題のドラマを見てみたところ、

以前デモにまで発展したフジテレビのそれとセンスがほぼ一致。

色合いが派手で美術がダサく、

言葉あそびや小道具での小ネタなど全般的に幼稚で気持ちが悪い。

 

中学生などが、

いじめの対象の者の机に花を置く・・というのがある。

それに似た、

陰湿なものをこのドラマから感じた。

写っているものだけでこんなにあるのだから

実際にはもっとあったのだろう。

 

あちらの国の輩による業界の乗っ取り。

今すぐにはどうしようも出来ないことなのかもしれない。

でも、不快に感じた視聴者はテレビにNOをつきつけるべき。

そう、テレビを消す。見ないという選択をするのです。

 

イルミナティという海外から入ってきた概念は、

宗教的概念から派生している言葉で出来ているので、

日本人の私達には感覚的に非常に遠く、

また宗教をタブー視してきた国民なために、

その実態よりも怪しく写りがち。

しかしニュートラルな眼で見ていくと、

悪魔というのは神の反対にいるものだから、

それを崇拝するというのはなんのことはない、

欲望を肯定するということだろう。

神を崇拝すると究極は稼げないわけで、

16~17世紀の資本主義のはじまりの世界で「堂々と自己のエゴを肯定しちゃおうぜ!」という革新的現実的な知識層がどんどん富を築いていき、

ある種の財閥的な繋がりを形成していったと理解すればそこにはオカルト性は無い。

 

ただ、幼児のホルモンで若返りの薬を作っているとか、

これが本当ならばもちろん恐ろしすぎる・・

しかし、

食品として動物脂肪を摂取してお肌プルプル~というのは受け入れられてる世界なのだから、

人間を・・って思いつく人が居ても不思議じゃないけどね。

 

宗教は自然界の現象を言語で表現流布したことで時の勢力となっただけだ。

そして、人々の信仰心は人生哲学や教育体系と密接につながって大きな組織になっていく。

組織が出来上がると純粋な大衆からお金を吸い上げることが出来る。

先に気づいた層がヨーロッパで覇権を握って出来上がったのが今の世界であるから、

大衆に難しいことを考えさせないようにするのが

存在意義の日本のテレビ業界が

大きな勢力の支配下にあるのは当然のことだ。

 

私達ただの一般人は、ただの一般人だからこそ、

情報リテラシーの力を付けてテレビを消し選挙に行く。

そして、日本人として重要なのは消費選択をすること。

イルミナティとか業界の闇とかいう言葉に惑わされずに

個々の行動を変えるしかない。

これだけで社会に変化を起こせるはず・・

ファンにはつらいけれど、

なにも考えずにコンサート等に行って

グッズを買ってはいけないのです。

 

ある日本人ママ友のEさんは、

「日本に住んでないんだから関係ない(だから選挙に行かない)」と言っていた。

「でもさ、自分たちの子供や孫が日本に住むかもしれないんだよ。

わたしは次の世代にまともな国を遺してあげたいよ」

と話したらムッとしていた。

ムッとされてもいいのだけど・・

意見を言うことに気をつかう日本社会の難しさ。ドイツと大きく違うところだ。

 

私は三浦春馬さんの存在をよく知らなかったけど、めでたくにわかファンだ。

海外で活躍してほしかったな。

姿も魂もキレイで演技も歌も踊りも出来て。

あちらの国の輩にはさぞ妬みの対象であったのだろう。

男の妬みほど意地汚いものは無いな。

 

政治でも芸能でも、

テレビが報道しないことや取り扱わないことこそが

日本人に知らせたくないことで

そっちの世界に真実があるわけだ

 

そのことに日本人が気づかないように、

バカみたいなバラエティやグルメ番組を一日中流して、

政権批判を繰り返し繰り返し流している事を、

知らないでいる人々がなんと多いんだろうか。

幼稚なアイドルやイケメン俳優と、

定期的に不倫や薬物スキャンダルを投下していれば

OKなのだからカネも手間もかからない。

意見をする芸能人は干されたり亡き者にされて、

死んでからもカネに変換させられているのに、

何も知らない視聴者は感動して

「企画してくれてありがとうございます」とか

感謝したりしている・・

 

わたしたちは、

あちらの国の輩にこんなにも馬鹿にされていること、

とことん利用されていること、

テレビを信じてしまうことは、

日本を嫌いなのに日本でカネを稼ぎ、

国を乗っ取り潰そうとしている輩を

受け入れていることと同意だということに、

一刻も早く気づくべき。

 

 

 

ADHDと二次障害について

わたしの父親は伝統工芸の職人だった。

母親は専業主婦をしていたけれど、

姉と私は私立の学校に入ったので

みるみる生活が厳しくなってパートとして働き始めて、

いつしか祖父の事業を継いで小さな会社を経営していた。

この間、父の借金やアルコールなどいろいろな家庭内不和が連続した。

 

この私立校への入学は母が強く希望して

姉妹でお受験を突破出来たことは良かったのだけど、

両親ともに経済感覚がまったく無かったことが悪い方に作用してしまった。

いま、自分が夫の収入のみでローンを支払い、

子供二人を私立に行かせようと想像してみると、

当時の両親は楽天的すぎたと言ってもいいと思う。

 

今思えば、学校の施設は素晴らしいものであったし、

生徒さんは心の優しい人が多かったのでひどいいじめは無いし、

私自身も楽しく通っていたと思う。

 

結果的によかったこともよくなかったこともあったけど、

一番よくなかったことは、

この学校を盲目的に信頼しすぎていた事だと思う。

 

これは、私自身にも言えることで、

ずっと同じお友達と同じ学校に居たかったし、

学校を変える発想自体が無かったので、

中学生高校生になっても志望校とかいう単語を知らずに生きていた。

学校の中でも家庭でも、私が通う学校は素晴らしい特別な学校なのだと

聞かされてきたし実際そうであったのだけど、

進路について、

自分の能力や適性について深く考えるべき時期に

何も考えずに過ごしたことをいますごく後悔している。

もちろん、これは私自身が自分の人生について常に他人事だったからで

親や学校のせいではない。

実際、校内には優秀な生徒が多かったし、

望めばどんな難関大学でも目指せる環境であったと思う。

本人にやる気がなければどんなよい環境も活かせないということを

証明した人間が、まさに私である。

 

この、「他人事だったわたし」について深く考えてみる。

わたしはもともと発達障害の要素があったので、

幼稚園時代から社会的な関わり方が他の子供と違っていて

先生方も母親も困っていたはずである。

 

母には他に4人の姉妹がいて、本当に頻繁に叔母達とわたしのことを話していた。

悩んでいる風ではなく、ネタにして笑っていたのだった。

これには結構自尊心が傷ついていた。

発達障害のせいかどうかわからないけど、

わたしは勝ち気で仕切り屋で勉強も出来た。

作文が上手かったので掲示板に貼られたり、学級委員に任命されたりしていたけど、

他者の心の痛みを想像したりが出来ず、空気が読めなかった。

成績では評価されていたのでクラス内ではさらにうざい奴になり、

一方では、

家庭や親戚内では常識がないとか生意気とかしょっちゅう叱責され、

叔母達のネタにされていた。

母の言う、

「普通わかるでしょ」とか「ちょっと考えてごらんよ」という言葉が、

本当にわからなかった。普通というのはすごく曖昧な言葉なので、

具体的にどこがダメなのかを説明してもらえないとわからないし、

当然改善も出来なかったと思う。

 

そして、小学校5年生の時(他にも色々あるけど省略)、

担任の先生が不人気投票をやろうと言い、

わたしは女子で1番をとってしまったのだ。

この時に、

自分は他人に嫌われてるということを突きつけられた。

この先生がしたことは教育者としては全く良くはないし、

実際その次の年に退職(解雇されたのだと思う)していったので

学校としてはあってはならない事として処理したのだろう。

 

しかし、私の人生の中では、いずれは目に見える形で周囲に嫌われてたはずなので、

結局は避けられなかったことだといまなら思う。

さてこの出来事はわたしの性格を変えた。

 

これ以降は、自分からなにかを希望するなんて身の程知らずという気持ちを抱いて生きるようになった。

どうやら自分はおかしいみたいと自覚したけど、

実際どの行動や言動がダメなのかが、わからないままだった。

それでも元々真面目だったので、

学校には行かなきゃいけないしなんとか通っていた。

幸いにも女子のお友達はみんな優しかったので、

あからさまに避けられたりすることもなく

グループに一緒にいることを許してくれていたので一人になることはなかった。

母や仲良しの姉には話せなかった。

学校からその後の説明やフォローはなかったし、母は知らないままだと思う。

正直、直後の記憶はあまりない。

もし、

明らかに様子がおかしい私のことを母が気づいてくれてたら・・

クラスのママ友さんや担任にコンタクトをとってくれてたら・・

学校に全面的におまかせするのではなく子の成長について関心をもってくれたら・・

少なくとも、

一緒に私の困った特性について学んで、生きづらさを洗い出してみたり、出来ていたのではないか、とついつい考えてしまう。

 

この時期から自分自身をどうしていいかわからなくなったと思う。

死にたいとは思わなかったけど、存在しないように存在する感じだった。

自分が見ている景色の中に自分は存在しないように感じて、

外の世界と自分の体が別の世界にあるような。

見え方がおかしくなったような感覚がしばらくあった。

 

元々のキャラは前に出ようとするおちゃらけた性格なので、

強烈に矛盾する行動(自分を失くす)を同時にし続けるわけだから、

脳と心はすごく混乱したと思う。

わたしが自分のことをいつもなんとなく他人事として扱うようになったのは、

これがはじまりなんじゃないかな・・と思う。

 

大人になってからADHDや二次障害という言葉を知った。

二人の息子にもしっかりと遺伝しているようで、

特にわたしにそっくりな次男のことで悩む・・

今、どんな対応をしてあげれば幸せな人生を歩めるのか、

わたし自身がさまよっているのに、どうしてあげればいいのか悩む。

とにかく、知識がもちろん必要だけれども、心から寄り添ってあげたいと思っている。

 

食事の給食システム化 4週目

献立を決めて毎日の食事まわりを楽にしようと思い立ったけれど、

実際やってみたら予想以上にきつかった・・という苦い経験がありまして。

現在、実際に作った食べたものを記録しております。

自分の脳みそだと、リアルな夕方の忙しさや自身の体力気力などをあらかじめ考慮した献立つくりが不可能だとわかったたのです・・。

 

そこで、記録をそのまま献立表にすることにしました。

3週間実録は以下。ジャジャジャーン

 

9月14日 9月15日 9月16日 9月17日 9月18日 9月19日 9月20日
アーリオオーリオ
ペペロンチーノ
シュペッツレ お好み焼   カレー・ナン 人参葉ペースト
パスタ
カナダ風パンケーキ
ハンバーグ パン食 キッシュ カレーライス スパゲティ
マスオーブン焼き
からあげ  
サラダ         クスクス  
9月21日 9月22日 9月23日 9月24日 9月25日 9月26日 9月27日
シュペツレ 野菜炒め ベジカツ しゃけホイル焼き 人参葉ペーストパスタ シュペツレ ハンバーガ
トルコチーズ フィッシュフライ ライス サラダ 豚肉ステーキ リンゼン 肉バテ
  ポテトオーブン焼き スコップコロッケ   サラダ   ベジパテ
            ベジぎょうざ
            ライス
9月28日 9月29日 9月30日 10月1日 10月2日 10月3日 10月4日
のこりもの かぼちゃスープ パン ポテトオーブン焼き ライス パンケーキ トルコ風リゾット
パスタクリームソース パン ミラノ風カツレツ フィッシュフライ 野菜炒め ベジラザニエ シェパードパイ
ルッコラサラダ   サラダ   鶏胸肉トマト煮込み サラダ サラダ

 

なるべく子どもたちが好きなものを作っていますが、

夫は肉を食べない。

夫やわたしが好きなものは子どもたちは食べない。

これが一番むずかしいし、脳みそが疲れる。

皆が食べられる料理を毎日つくるって、ADHD脳に負担がかかるのです。

ご飯つくるだけでへとへとになる。

だから、誰かに我慢してもらうしかないという結論です。

好き嫌いがあるのは仕方ない。

 

けど、個人の嗜好のせいで食べれないのだから、

料理した人が罪悪感を感じる必要ないのです。

家庭の食事に期待するべきことと、レストランのそれとは違う。

子どもたちの偏食は、発達障害グレーの特徴だと思う。

 

割り切ることにしないとね。

母親の料理力が・・とか考え始めると病んでしまうので。

 

 

今、猛烈にプレゼント文化から解放されたい。

 

ドイツには環境配慮に関しての意識が高い人(特に若年齢層)がもともと多く、

グレタさん登場以降は更に盛り上がっている。

マイ水筒やお買い物バッグなどを携帯するのは2006年頃で当たり前だったし、最近は、コーヒーを take away する際にマイカップに入れてもらう(容器分が安くなる)人がぐっと増えた。また、公共交通機関の運賃もぐっと値下がりした。

もはや一部の人が励むものではなく、市が民間をしっかりと巻き込んで努力をしていて高価が上がっている。

そして、ドイツのもともとある土壌として、「〇〇をすると変わり者と思われるかな?」とか周りの目を気にする文化が無いし、いい意味で他人に興味がない人達なので、個々が自由に振る舞う空気がある。自分単位の行動を変えること・人と違うことをすることに戸惑いがないから流れが起きやすいのかなと。

 

わたしはドイツ生活1○年。

贈り物をもらうのがすっかり苦手だ。

滞在許可を発行してもらったのだからと、ドイツ人の価値観を前向きに学んできたと思う。それは、無駄に買わないし買わせないというやり方。

ドイツ人は、消費することそのものにかかるコストを真面目に分析しているので、悪く言えばプレゼントのラッピングなどはそっけないし、贈るもののチョイスも日本とは全く違う。

 

自分が30年近く日本に住んでいて、当たり前だった価値観は、「プレゼントはありがたく頂くのが礼儀」というもので、言葉や理屈としては覚えている。

しかし、日本社会もそろそろ違う価値観を認めてもいいんじゃないか?

認めるって、別に全員がなにかを変えるとかそういう意味ではなくて、

皆違う価値観を持っていることを認めて尊重するということ。

 

まさに今、日本人からコストがかかったプレゼントを渡され困惑している。

何も求めていないという人ほど、内心はなにかを期待していて

それが満たされないと勝手にがっかりしている。

久々に、そのオーラ満載のブツを貰ってしまった。

友人でもなく家族でもない相手からだ。

気持ちだけいただきますねと伝えて一旦返却した。

そのあと、ものすごく心が軽くなったのに、気がついたら机の上にまた置かれてしまった。ダメ押しでメールも受け取り体調が悪くなってきた。

 

悩んだ末に、近隣の心身障害者施設に寄付しようと思っている。

そこには、様々な理由で就学や生活に困難をきたす子供とその家族、また、就労することが難しい成人などが住んでいるので役立ててもらえるはずだ。

 

今回のプレゼントだけは、自己満足だってこと、本人に伝えたい。

 受け取りたくないという気持ちを尊重してもらえないっておかしくないですか。

 

 

 

 

 

食事の給食システム化

3月中旬~7月中旬の4ヶ月くらい、コロナ自粛期間で家族全員が在宅勤務・学習をしていました。

食事まわりにとても疲弊して、途中から給食システムにして楽だったので今後の食事も献立方式にしていきたいなと。

わたしはADHDの特性があり、世間のワーママのように要領よく出来ないので、しっかりと経過記録を残すことにします。

 

給食システムはこんな感じでした。

 

  1. 前の晩か当日朝に、誰が料理するかを決める。
  2. 担当者が区切りのいいタイミングで料理。
  3. 食事をトレー・食器とともにキッチンにセッティング。
  4. 食事完成告知。スマフォや直接の声がけ。
  5. 各自区切りのいい時間にとりわけて食べる。
  6. 食べ終わったら各自食洗機に食器を入れる。

 

※ドイツではしっかりとした食事は一日一回が一般的で、我が家は昼にしっかり食べて夜は残り物やパン食にして簡単に済ますことが多かったです。

※調理担当は、夫:私=3:7くらい。

 

うちは長男が3階・次男と夫が2階・私が1階のリビングでそれぞれ仕事なり学習をしていたので、1階から上階に向けて「ご飯出来たよ~。」とか大声出して呼びかけたり、

聞こえてるのかわからない、聞こえてても(区切りつくまでetc)来ないなど、また作った人にとっては料理が冷めるのが気になることがストレスでした。

そして、私が担当する時は、仕事の合間に料理をすること、作業中の仕事セットを一旦テーブルから片付けなければならないことなど、仕事効率がとても悪かった。

 

給食システムにしてからは各々のタイミングで食べられるし、全員で食べないようになってテーブル片付け回避となっていました。夫はキッチンの一角でさっと食べていました。次男は食べるスピードが遅く四六時中喋ったり動いたりするのでさすがに私の仕事ははかどりませんでしたが・・・総じて 給食システムは良かったです。

 

現在は、夕食を楽にするために2週間献立を試しているので記録しておきたいと思います。

 

ADHDもち、海外在住ママさん、便利食材が売っていない場所に住むワーママなど、もし誰かの役に立てたらすごく嬉しい・・・。

 

まずは自分が作れて家族が食べてくれる料理、家族には不評だけど自分が好きな料理を書き出してみました。はじめは15種類くらいあれば充分。

 

そして、5人子供がいる義姉から以前に貰ったアドバイス

「皆が食べる料理を毎日作るんじゃなくて日替わりでやるといいよ。月曜日は長男、火曜日は次男…という感じ。好き嫌いで食べないのなら本人の問題。」

そうだよね!さすがドイツ人。自分の課題と人の課題はわけるのだ。

 

また、気分転換に別のものが作りたくなってもOKとする。

というのは、ドイツ人ママ友さんに献立計画のことをちょろっと話したら「うーん。その日の気分で作れない(食べれない)のは嫌じゃない?」と言われた。

そうかなあ・・、でもそれはそれでよくない?と思う。

だって、わたしが辛いのは、やる気がでないのに毎日ご飯の献立を考えなきゃいけないということであるから。

インスピレーションが湧いてくるコンディションであるなら調理は気分転換になるし、あらかじめ決めてある献立がある中でのイレギュラーならストレスにはならないのでは?

材料が一日分使われないっていう不都合だけだよね?実際やってみたら食材利用の計画が崩れるとかあるのかな~。とにかく、リアルな不都合はやってみないとわからないな。

ということで、

自分なりの対策としては「買い物中の店舗内で目の前に食材があっての思いつきに限定する」ということにした。

 

いざ、始めてみました。そしたらですね、月曜日、見事に撃沈しました。

えっ、今からじゃがいもゆでて皮むくとか無理・・疲れた。コレ決めたの誰?!

って自分だYO!

思考のくせのせいで変なマイルールが発動してしまったみたい。

献立計画の時点で気合いれすぎ(見栄をはりすぎ)た。

誰に対しての見栄なのか最早わからないが・・。ADHDあるあるです。

 

気を取り直して、作ったものの日誌をつけてから始動することにしました。

未来を計画するのではなくて過去をそのまま計画にする。

これならわたしでも出来そう。

 

それでは第1週目の記録から。

夫が在宅で昼に一品作ってくれた日や、前日の夕飯の残りを食べた日もあった。

夫は肉を食べない、息子たちは肉食だけど肉の中でもそれぞれ好みがあったり。

月曜日は肉、金曜日は魚、それ以外はベジでした。

週末も子どもたちの好きな肉料理を作っていました~。

 

アーリオオーリオ

ドイツ風ニョッキ

キッシュ

キッシュ

カレー・ナン

ペンネ人参葉ペースト

カナダ風パンケーキ

煮込みハンバーグ

ベジカツ

お好み焼

カレーライス

ニジマスホイル焼き

からあげ

余り物

サラダ

サラダ

サラダ

 

パン

サラダ

サラダ

 

からあげのもも肉は骨を外して下味冷凍しています。

ひき肉はパックのまま冷凍。

なるべくBIO肉を買っています。高価ですが登場頻度が低いので。

「価格ではなく価値を見ろ!」

この言葉に感銘を受けて以来、目先の値段で買い物しなくなりました。

思考を変えて自分を楽にする

名もなき家事 とか 辞める家事 とかいうタイトルの記事をよく見るようになった。 

 

夫婦共働きで子供もいるし物理的に家事を少なくする

この流れ、もっと早くからきててもよかったのでは?とすら思う。 

母親業真剣に向き合う真面目な人ほど、理想と現実のギャップから来る罪悪感にやられる。「きちんとした暮らし、丁寧な暮らしをしたい」って頑張れば頑張るほど自分が苦しくなっていく。 

私自身も、海外育児ワンオペで心身限界なのに専業主婦だったので手抜きしたりアウトソーシングに頼ることに罪悪感を感じてしまっていました。 

仕事を始めてからはさらにキリキリして子供ちもしゅんとすると気づきました。 

それなら、楽する方を選んだほうが絶対にいいです。 

罪悪感という言葉も存在も本当に要らないものです。 

 

そもそも、コレってほんとうにやらなければいけないのか? 

そこから疑ってみると、思い込みで続けていたことが多い 

 

わたしの家は4人中3人がドイツ生まれなので、朝はもれなくパンかシリアルで夕飯も週に2回くらいはパンハムチーズカット野菜のようなドイツ食を食べます 

これはとても楽です。物足りないときは、かぼちゃスープやナッツキヌアなどを入れたボリュームサラダをメインにしたりやりようは色々あります。

 

しかし、がっつりと日本食調理する時米を洗い(無洗米がないのでからあげを作る為にもも肉の骨したりごま生なのでフライパンで炒等々、まあ・・温かく美味しい食事を作るための手間は本当にたくさんあります。 

お惣菜なんてもちろん無いし、刺し身や納豆など1品が成り立つ系の商品も手軽には買えない・・そういう意味では楽な道は無く、どっちの国いい悪いかいう話ではないです。 

 

話は戻って、罪悪感を抹殺することに加えて心理的意識していることが期待すること期待に応えることをやめて常に自分軸で思考行動するということです 

 

どういうことかと言うと、自分の腹の中探って言語化して自覚する。 

必要な場面では他者に伝える。その上で、伝えたとして必ずしもこちらが期待する形で相手が理解するわけじゃない そこは他者の領域であるからです。 

例えば、仕事で関わる人、役所の職員やお店のスタッフ、友人、自分のや子供でもです。 

 

わかってもらうことをゴールにししまうと、相手がわかってくれない(期待に応えてくれない時強いストレスになります・・ 

そこでどうせわかってくれないのならと黙してしまいがちですが、これはダメです。 

ずに「自分軸思考行動」を成果とするのです 

これはドイツで苦しみながら生きる中で行き着いた考え方ですがどこに住んでいたとしても有効だと思ってる。 

望んでいること言葉にして周りに伝えるのはただのスタート地点であり、自分の腹の中を探り当てて言語する力、また他者に向けて発信する身につけることこそゴールにする。 

相手がわかってくれたらテープ切ってトロフィーもらってるイメージ。 

 

実際には、仕事メールなど文書が残るツールを使い5WHなどの要点をまとめて伝えていけば、ドイツ人相手に時間がかかってもトロフィーを手に出来ます。 

 

これは筋トレのようなもので、繰り返していけばトロフィー経験が増えていきます。 

 

注意が必要なのはふわっとした場面 

ドイツではする文化がないので言わないとはじまらない。 

はっきりと言う文化なので、住みはじめてすぐはデリカシー無いなー、とか、図々しい!と思ったことも何回もあります。 

 

しかしこの社会では日本的な遠慮や沈黙にはあまり価値がないどころか自分を弱い者にしてしまうリスクがあります 

このカルチャーショックすごくないですか。自分の価値を下げる行為なのです。 

 

人間関係で、他者を察して気遣って察し返しも無いので、無駄にモヤモヤしてしまったり、義理の家族やママ友さんとの関係でエネルギーの無駄使いを散々してきました。 

 

当然ですが、大切な人にはgiveします。

が、そうでもない他人に対してはなにかを期待している自分はいないよね?と腹の中を探って納得してからgiveするようにしています。相手の反応は相手の領域もちろん、好意的に反応してくれる人もいます。でも何もなくてもがっくりしない自分でいたいのです。 

 

家事でも人間関係でもなんでも「こうであるべき」とししまうトレスになっていく要らないものは無くしていきたいです。 

 

ドイツ人はたしかに残業しない。

残業時間を記録しておいて別の日に半休とか、有給全消化するのは普通のこと。

なんで社会が回っているんだろう?って思います。


しかし、すごく後出しじゃんけん的だけど「回ってる」の基準がこの国ちょっと違う。
わたしは日系企業で働いた経験しか無いので、実際の企業や組織の中の様子ははっきりとは言えないけど。

例えば、
役所関係だと、対応してくれる人によって言うことが違う為に、2度手間3度手間を踏まされたり、書面の打ち間違いやスペルミスの為にもう数日待たされる。

謝罪の言葉なんて全くない。始めは驚いた。

 

民間だと、取引先のドイツ企業にメールする場面で、休暇シーズンや連休前後になると「○月○日~○月○日までオフィスに居ません。緊急の要件は、代理として弊社〇〇に連絡して下さい。」という自動返信メールが返ってくる。社外の相手に不在理由を説明する必要はない。そこで代理の〇〇さんにメールすると、その〇〇さんからも「○月○日~○月○日までオフィスに居ません。」という自動返信メールが返ってきて、「うん。もういいか・・」と、あきらめモードになる。

 

企業の対応でも小売でも、まあ時間がかかる。

あからさまに失礼な言い方で突っぱねられたり、カスタマーセンターなんかだと一方的に電話を切られたりもする。
これは、案件内容だったりクレームの付け方によっては国籍関係なく冷たくあしらわれるので、差別的ということでは決してなく。

 

なので、前提からして社会そのものが違うし、もともと回ってねーじゃん、と言ってもいいかも(笑)
それでも、個人は給料を受け取っているし会社も利益をあげているので、客観的に見れば経済も社会も回っているということになる。

 

ここで、

わたしが、これだな~!と思うドイツ人の働き方の根底にあるものを書いてみる。

ちなみにドイツ人=現地人。多国籍国家なので大雑把に。

 

社会との約束は書面に全て記載されているから究極は書面(例えば雇用契約書)に従えばOK。その上で、他人軸でなく自分軸で思考行動する。

 

業務@人がきっちり分類分業されている。
これは職業訓練システムがあるからで、そもそも自分が修めた職業訓練内容に即したポストにしか応募できないので、就職した時点で個々の受け持ち業務がはっきりしている。この職業訓練に真面目に取り組めばなにかしらの専門職となる。仕上がった状態で就職活動ないし仕事開始出来る。すごくいいシステムだと思う。

 

 

あとは、これが一番大きいと思うのが価値観・美徳感!

時間を一番大切にする国民性なので、無駄を嫌う。必要な会議なのかどうか精査してから会議を持つ(相手の時間をもらう)。一定のポストに付けば判断の権限が与えられるので、何人もの上司からの確認承認待ちや特定の誰かの顔を潰す潰さないという事を考える時間を、会社は節約する。

また、部署の仕事が終わらないとか顧客が困るとかは社員の責任ではないので申し訳ないとか思わないし、いち社員がどうにかする種類のものではない。責任は、適した人員配置をしない会社にあるという考え方。この、清々しい自分勝手な感じを私はポジティブ自己中とか大人チャラ系とか呼んでる。

 

ドイツ社会に限らず、個人の権利を守りながら組織の生産性をアップするには既存の価値観を疑う必要がある。

ドイツ人にも申し訳ないとか罪悪感という感情があるにはあるけど、キリスト教の教義が強く影響しているので、日本人のそれとは全く違うものだ。
そのあたり、文化人類学とか社会心理学とか言うんだろうか。
とても興味がある。