ドイツでだいぶうつになってます

東京産まれ東京育ち。小学生の息子ふたり。思ってることを書き留める。

思考を変えて自分を楽にする

名もなき家事 とか 辞める家事 とかいうタイトルの記事をよく見るようになった。 

 

夫婦共働きで子供もいるし物理的に家事を少なくする

この流れ、もっと早くからきててもよかったのでは?とすら思う。 

母親業真剣に向き合う真面目な人ほど、理想と現実のギャップから来る罪悪感にやられる。「きちんとした暮らし、丁寧な暮らしをしたい」って頑張れば頑張るほど自分が苦しくなっていく。 

私自身も、海外育児ワンオペで心身限界なのに専業主婦だったので手抜きしたりアウトソーシングに頼ることに罪悪感を感じてしまっていました。 

仕事を始めてからはさらにキリキリして子供ちもしゅんとすると気づきました。 

それなら、楽する方を選んだほうが絶対にいいです。 

罪悪感という言葉も存在も本当に要らないものです。 

 

そもそも、コレってほんとうにやらなければいけないのか? 

そこから疑ってみると、思い込みで続けていたことが多い 

 

わたしの家は4人中3人がドイツ生まれなので、朝はもれなくパンかシリアルで夕飯も週に2回くらいはパンハムチーズカット野菜のようなドイツ食を食べます 

これはとても楽です。物足りないときは、かぼちゃスープやナッツキヌアなどを入れたボリュームサラダをメインにしたりやりようは色々あります。

 

しかし、がっつりと日本食調理する時米を洗い(無洗米がないのでからあげを作る為にもも肉の骨したりごま生なのでフライパンで炒等々、まあ・・温かく美味しい食事を作るための手間は本当にたくさんあります。 

お惣菜なんてもちろん無いし、刺し身や納豆など1品が成り立つ系の商品も手軽には買えない・・そういう意味では楽な道は無く、どっちの国いい悪いかいう話ではないです。 

 

話は戻って、罪悪感を抹殺することに加えて心理的意識していることが期待すること期待に応えることをやめて常に自分軸で思考行動するということです 

 

どういうことかと言うと、自分の腹の中探って言語化して自覚する。 

必要な場面では他者に伝える。その上で、伝えたとして必ずしもこちらが期待する形で相手が理解するわけじゃない そこは他者の領域であるからです。 

例えば、仕事で関わる人、役所の職員やお店のスタッフ、友人、自分のや子供でもです。 

 

わかってもらうことをゴールにししまうと、相手がわかってくれない(期待に応えてくれない時強いストレスになります・・ 

そこでどうせわかってくれないのならと黙してしまいがちですが、これはダメです。 

ずに「自分軸思考行動」を成果とするのです 

これはドイツで苦しみながら生きる中で行き着いた考え方ですがどこに住んでいたとしても有効だと思ってる。 

望んでいること言葉にして周りに伝えるのはただのスタート地点であり、自分の腹の中を探り当てて言語する力、また他者に向けて発信する身につけることこそゴールにする。 

相手がわかってくれたらテープ切ってトロフィーもらってるイメージ。 

 

実際には、仕事メールなど文書が残るツールを使い5WHなどの要点をまとめて伝えていけば、ドイツ人相手に時間がかかってもトロフィーを手に出来ます。 

 

これは筋トレのようなもので、繰り返していけばトロフィー経験が増えていきます。 

 

注意が必要なのはふわっとした場面 

ドイツではする文化がないので言わないとはじまらない。 

はっきりと言う文化なので、住みはじめてすぐはデリカシー無いなー、とか、図々しい!と思ったことも何回もあります。 

 

しかしこの社会では日本的な遠慮や沈黙にはあまり価値がないどころか自分を弱い者にしてしまうリスクがあります 

このカルチャーショックすごくないですか。自分の価値を下げる行為なのです。 

 

人間関係で、他者を察して気遣って察し返しも無いので、無駄にモヤモヤしてしまったり、義理の家族やママ友さんとの関係でエネルギーの無駄使いを散々してきました。 

 

当然ですが、大切な人にはgiveします。

が、そうでもない他人に対してはなにかを期待している自分はいないよね?と腹の中を探って納得してからgiveするようにしています。相手の反応は相手の領域もちろん、好意的に反応してくれる人もいます。でも何もなくてもがっくりしない自分でいたいのです。 

 

家事でも人間関係でもなんでも「こうであるべき」とししまうトレスになっていく要らないものは無くしていきたいです。