ドイツでだいぶうつになってます

東京産まれ東京育ち。小学生の息子ふたり。思ってることを書き留める。

ADHDと二次障害について

わたしの父親は伝統工芸の職人だった。

母親は専業主婦をしていたけれど、

姉と私は私立の学校に入ったので

みるみる生活が厳しくなってパートとして働き始めて、

いつしか祖父の事業を継いで小さな会社を経営していた。

この間、父の借金やアルコールなどいろいろな家庭内不和が連続した。

 

この私立校への入学は母が強く希望して

姉妹でお受験を突破出来たことは良かったのだけど、

両親ともに経済感覚がまったく無かったことが悪い方に作用してしまった。

いま、自分が夫の収入のみでローンを支払い、

子供二人を私立に行かせようと想像してみると、

当時の両親は楽天的すぎたと言ってもいいと思う。

 

今思えば、学校の施設は素晴らしいものであったし、

生徒さんは心の優しい人が多かったのでひどいいじめは無いし、

私自身も楽しく通っていたと思う。

 

結果的によかったこともよくなかったこともあったけど、

一番よくなかったことは、

この学校を盲目的に信頼しすぎていた事だと思う。

 

これは、私自身にも言えることで、

ずっと同じお友達と同じ学校に居たかったし、

学校を変える発想自体が無かったので、

中学生高校生になっても志望校とかいう単語を知らずに生きていた。

学校の中でも家庭でも、私が通う学校は素晴らしい特別な学校なのだと

聞かされてきたし実際そうであったのだけど、

進路について、

自分の能力や適性について深く考えるべき時期に

何も考えずに過ごしたことをいますごく後悔している。

もちろん、これは私自身が自分の人生について常に他人事だったからで

親や学校のせいではない。

実際、校内には優秀な生徒が多かったし、

望めばどんな難関大学でも目指せる環境であったと思う。

本人にやる気がなければどんなよい環境も活かせないということを

証明した人間が、まさに私である。

 

この、「他人事だったわたし」について深く考えてみる。

わたしはもともと発達障害の要素があったので、

幼稚園時代から社会的な関わり方が他の子供と違っていて

先生方も母親も困っていたはずである。

 

母には他に4人の姉妹がいて、本当に頻繁に叔母達とわたしのことを話していた。

悩んでいる風ではなく、ネタにして笑っていたのだった。

これには結構自尊心が傷ついていた。

発達障害のせいかどうかわからないけど、

わたしは勝ち気で仕切り屋で勉強も出来た。

作文が上手かったので掲示板に貼られたり、学級委員に任命されたりしていたけど、

他者の心の痛みを想像したりが出来ず、空気が読めなかった。

成績では評価されていたのでクラス内ではさらにうざい奴になり、

一方では、

家庭や親戚内では常識がないとか生意気とかしょっちゅう叱責され、

叔母達のネタにされていた。

母の言う、

「普通わかるでしょ」とか「ちょっと考えてごらんよ」という言葉が、

本当にわからなかった。普通というのはすごく曖昧な言葉なので、

具体的にどこがダメなのかを説明してもらえないとわからないし、

当然改善も出来なかったと思う。

 

そして、小学校5年生の時(他にも色々あるけど省略)、

担任の先生が不人気投票をやろうと言い、

わたしは女子で1番をとってしまったのだ。

この時に、

自分は他人に嫌われてるということを突きつけられた。

この先生がしたことは教育者としては全く良くはないし、

実際その次の年に退職(解雇されたのだと思う)していったので

学校としてはあってはならない事として処理したのだろう。

 

しかし、私の人生の中では、いずれは目に見える形で周囲に嫌われてたはずなので、

結局は避けられなかったことだといまなら思う。

さてこの出来事はわたしの性格を変えた。

 

これ以降は、自分からなにかを希望するなんて身の程知らずという気持ちを抱いて生きるようになった。

どうやら自分はおかしいみたいと自覚したけど、

実際どの行動や言動がダメなのかが、わからないままだった。

それでも元々真面目だったので、

学校には行かなきゃいけないしなんとか通っていた。

幸いにも女子のお友達はみんな優しかったので、

あからさまに避けられたりすることもなく

グループに一緒にいることを許してくれていたので一人になることはなかった。

母や仲良しの姉には話せなかった。

学校からその後の説明やフォローはなかったし、母は知らないままだと思う。

正直、直後の記憶はあまりない。

もし、

明らかに様子がおかしい私のことを母が気づいてくれてたら・・

クラスのママ友さんや担任にコンタクトをとってくれてたら・・

学校に全面的におまかせするのではなく子の成長について関心をもってくれたら・・

少なくとも、

一緒に私の困った特性について学んで、生きづらさを洗い出してみたり、出来ていたのではないか、とついつい考えてしまう。

 

この時期から自分自身をどうしていいかわからなくなったと思う。

死にたいとは思わなかったけど、存在しないように存在する感じだった。

自分が見ている景色の中に自分は存在しないように感じて、

外の世界と自分の体が別の世界にあるような。

見え方がおかしくなったような感覚がしばらくあった。

 

元々のキャラは前に出ようとするおちゃらけた性格なので、

強烈に矛盾する行動(自分を失くす)を同時にし続けるわけだから、

脳と心はすごく混乱したと思う。

わたしが自分のことをいつもなんとなく他人事として扱うようになったのは、

これがはじまりなんじゃないかな・・と思う。

 

大人になってからADHDや二次障害という言葉を知った。

二人の息子にもしっかりと遺伝しているようで、

特にわたしにそっくりな次男のことで悩む・・

今、どんな対応をしてあげれば幸せな人生を歩めるのか、

わたし自身がさまよっているのに、どうしてあげればいいのか悩む。

とにかく、知識がもちろん必要だけれども、心から寄り添ってあげたいと思っている。